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西部校

西部校【事前学習】なぜ石見神楽は私たちの心をつかんで離さないのか/井戸平左衛門公の頌徳碑をたずねて

掲載日 : 2020-12-04
今日は午前、午後とも“歴史”にスポットを当てた学習をしました。

島根県民、とりわけ県西部の石見地方の人たちにとって、石見神楽との接点は“観て楽しむ”がほとんどだと思いますが、観て楽しむ“以外”にも石見神楽には多くの魅力があります。
1時限目の講義では、古代出雲歴史博物館専門学芸員の藤原宏夫氏に講師を務めていただきました。
地域に残っている古文書や郷土史などから、詳細に、かつ客観的に、石見神楽の成り立ちや歴史、現代における位置づけなどを解説していただきました。
受講した学園生からは
「子や孫に伝えていくために私たちができることは、私たち自身が興味を持つことから」
「今まで石見神楽にまったく興味はなかったが、その奥深さを知った」
などの感想をいただきました。
次回は石見神楽を支える人たちにスポットを当て、現地学習に出掛けます。

2時限目は、「いも代官」の名で知られ、小学校や中学校の地域の歴史で学習する井戸平左衛門公についての講義でした。
今から300年近く前の江戸時代、享保の大飢饉が起きた際に、井戸公は薩摩藩から石見地方へサツマ芋を持ち込んで、民衆を飢えから救います。
その功績をたたえ、石見地方だけでなく中国地方に井戸公の頌徳碑が建てられました。
その足跡を長年研究されている、大田市文化協会会長で“いも代官頌徳碑訪ね人”の石賀了氏からお話をしていただきました。
井戸公の功績はもちろん、没後に井戸神社の創立に奔走した人の地道な努力や、風化する頌徳碑を立て直して未来へつなごうとする現在の石見の人たちの動きなどを知ることができました。
受講生からは
「頌徳碑が多数存在することは知らなかった」
「小学生のときに井戸公の話を聞いたことを思い出した」
といった感想が寄せられました。

石見神楽の舞にはゆったりと舞う六調子と、テンポの速い八調子があることはよく知られていますが、「実は六調子は……」といった解説の内容に「へぇ~!」という感嘆の声が学園生から聞こえてきました。

現在分かっているだけで、500基以上の頌徳碑が建てられていることが分かっています。当時の資料から、集落の人たちがお金を出し合って建てられたものも数多くあるそうです。